身延山久遠寺 Minobusan Kuon-ji temple
安房国(あわのくに)小湊(現・千葉県天津小湊町)で生まれた日蓮大聖人が、鎌倉時代の建長5年(1253年)、安房国清澄で立教開宗したのが日蓮宗の始まりです。その後、日蓮大聖人は、鎌倉幕府からの幾多の弾圧・迫害を経て、文永2年(1274年)、熱心な信者であった甲斐国(かいのくに)波木井郷(はきいごう)の領主、南部六郎実長(さねなが)公に招かれ身延山に入山。以後、9ヶ年にわたり、日蓮宗の礎(いしずえ)を築きました。(左写真は、久遠寺本堂天井画『墨龍』)
日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)、病気療養の為、常陸国(ひたちのくに 現・茨城県)へ向かう途中、武蔵国(むさしのくに)池上(現・東京池上)に於いて、61歳で亡くなりましたが、その際、
「日蓮がいづくにて死に候(そうろう)とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候。未来際(さい)までも心は身延山に住むべく候。」
との御遺言により、身延山は日蓮宗の総本山、法華経の根本道場として今日に至っています。
身延山久遠寺(くおんじ)は、正式には「身延山妙法華院(みょうほっけいん)久遠寺」と言い、日蓮宗の総本山です。かつて久遠寺は、現在の西谷、御草庵跡の地にありましたが、第11世法主(ほっす)・行学院日朝上人の代、文明7年(1475年)、現在地に移転し、今日に至っています。
又、境内には「全国しだれ桜10選」にも選ばれている樹齢400年を超える「しだれ桜」があり、季節(例年3月下旬〜4月中旬)になると、山内各所の桜と合わせ、至る所で咲き乱れ、それは見事なものです。
本堂
久遠寺は、明治8年(1875年)の大火により、堂塔伽藍(がらん)がことごとく焼けてしまい、本堂も、昭和60年(1985年)に再建落慶されました。敷地面積970坪、間口32m、奥行き51mの堂内には、加山又造(またぞう)画伯渾身の筆による大天井画『墨龍(ぼくりゅう)』が描かれています。
地下には、中国北宋時代の作で国宝の『絹本(けんぽん)着色夏景山水図』や、重要文化財の『宋版礼記(らいき)正義』、更には、『日蓮大聖人真筆大曼荼羅(まんだら)本尊』等、久遠寺所蔵の寺宝を展示する宝物館があります。
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祖師堂
祖師堂には、祖師である日蓮大聖人が祀(まつ)られています。又、
「今生(こんじょう)より未来際までも心は身延山に住むべく候」
との御遺訓に因み、「祖師の御霊(みたま)棲(す)まう御堂」と言う意味を込め、「棲神閣(せいしんかく)」とも呼ばれています。
報恩閣
報恩閣(ほうおんかく)は、立教開宗750年を記念し、平成14年(2002年)に完成したもので、総受付と信徒休憩所が設けられています。
三門
門前町のはずれにある大きな門は「三門」と言い、間口23m、奥行き9m、高さ21mの総欅(けやき)造りで、京都の知恩院、南禅寺の門と共に日本三大門に数えられ、門の左右には仁王像が、楼上には16体の羅漢像が祀(まつ)られています。
三門は正式には「三解脱(げだつ)門」と言い、空・無相・無願を経て、涅槃(ねはん)の境地に至る仏教の摂理を表しています。
菩提梯
三門をくぐった所から始まる急な石段は、佐渡の熱烈な信者、仁蔵(にぞう)の発願(ほつがん)によるもので、「菩提梯(ぼだいてい)」と言い、石段の数は287段、高さは104mあり、三門と久遠寺本堂を結んでいます。
菩提梯には、仏教で言う所の「菩提」──悟りに至る梯(きざはし)の意味が込められており、七区画に分けられた石段は、「南無妙法蓮華経」の御題目七文字になぞらえています。
総門
久遠寺入口交差点を身延山方向へ曲がった一番初めにあるのが、「総門」と呼ばれる大きな門で、三門、菩提梯を経て、久遠寺境内へと至ります。
総門に掲げられた扁額に書かれている「開会関(かいえかん)」とは、法華経信仰の入口を意味し、この門を通る事により、仏への道が開かれる事を示しています。
尚、総門から内側は「門内」と呼び、古来よりの身延山の寺域になります。